奥田英朗『泳いで帰れ』


午後、出勤するまでの間、奥田英朗『泳いで帰れ』を読む。
アテネオリンピックのルポで、今読んでも、いや五輪開催中の今だからこそ当時の雰囲気と記憶がよみがえってくる。
そういえば、アテネの柔道では100キロ級で連覇を賭けた井上康生が一本負けしたイヤな雰囲気を、100キロ超級に出た鈴木桂治が金メダルを取って救ったのだった。そうだったそうだった。めぐるめぐるよ時代はめぐる。
『泳いで帰れ』には“長嶋ジャパン*1の話もたくさん出てくるが、そういえば僕もアトランタオリンピックの時に五輪の野球をナマで観るというラッキーに恵まれたのだった。


今より予算のあった頃で(泣)、「番組ごとアトランタ出し」という企画でプロデューサーとして開幕から数日間、現地へ行ったのだ。そこで観たのが開会式と野球の日本対キューバ戦。野手には今をときめくソフトバンクの松中やカブスの福留、パドレスの井口に阪神の今岡、巨人の谷と、今考えると凄いメンバーが揃っていた。もちろんみんな当時はみんなアマチュア。日本代表はキューバに対し真っ向から打ち合いを挑み、延長戦の末惜しくも7対8で敗れたのであった。


この時の日本代表は銀メダル。まだ金属バットがOKの時代で、松中はキューバとの決勝では鋭いスイングから目の覚めるような満塁ホームランを放ってそれ以来ファンになったのだが、多くの評論家筋は当時「金属バットならホームランが打てるが、プロでは非力」と評していたのを覚えている。もちろん、後にホームラン王になったのはご存じの通り。オレの慧眼ではなく本人が努力したのである。


ちなみに奥田さんが何に対して『泳いで帰れ』と怒ったかは読んでのお楽しみ。「北京五輪も行く」と書いてあったから、きっとそのうち面白いルポが読めるに違いない。


泳いで帰れ

泳いで帰れ

*1:実際には脳梗塞で倒れた長嶋茂雄監督に代わり、中畑清ヘッドコーチが指揮を取った。