GWやもめ2日目(5月1日・日曜日)

 結局きのうは3時半過ぎまで眠れず、おまけに7時には目が覚める。そのまま起きて、自分しか食う人がいないのにわざわざ味噌汁を作って朝食。

 きょうは浅草まで足を延ばし、番組でリポーターを担当してくれている女流落語家の高座を見に行く。GWのせいか浅草演芸ホールの座席は全部埋まり、午前中だというのに2階席にもお客が入り始めていた。
 彼女はきょうが二つ目昇進披露の初日で、その挨拶をするとあちこちから熱烈な拍手が起きた。熱心なファンもついているらしい。先輩落語家からも可愛がられているように感じた。3年半で二つ目に昇進するのはけっこう早い方らしい。そういえばリポートも始めてから丸1年、最初はろくに喋れなくなったのに最近はホントにうまくなった。
 きょうの噺は「子ほめ」だった。
 
 午前中の部が終わったところで外へ出て、番組から彼女に贈った花がホールの外にちゃんと飾られているのを確認。せこいようだがこれは大事な番宣である。
 浅草〜神田と乗り換えて飯田橋で下車。前から一度のぞいてみたいと思っていた靖国神社の遊蹴館に向かった。腹が減ったので境内の茶店で「靖国そば」800円。具は何かと思ったら、椎茸・山菜・豚肉・錦糸卵。天ぷらそばに次いで2番目にグレードが高い。
 常設展は靖国神社に合祀されている戦死者(=英霊)のエピソードにあわせて展示物が集められ、幕末から太平洋戦争にかけての戦争の歴史が重ね合わされるという構成である。ちょうど日露戦争に関しての特別展が行われていて、「明治天皇と日露大戦争」という映画が特別上映されていた。
 昭和の大スター・嵐寛寿郎主演。今でも健在の俳優では、当時は若手だったはずの高島忠夫宇津井健丹波哲郎も出演している。他に知っている人ではいずれも故人の若山富三郎田崎潤*1も出ていた。家に帰ってから調べたら、1957年の公開で「明治天皇を実名で登場させ、一大センセーションを巻き起こした、未曾有の戦争スペクタクル大作。公開時には全国民必見作と謳われ、当時7億円の大ヒットとなった」んだそうだ。

 映画では「上官は部下を、部下は上官を思いやり、天皇は深い大御心で一兵卒に至るまでその死に胸を痛める・・・」という理想の親子のような美しい関係が描かれるのだが、前半のクライマックスである遼陽攻撃では丘の上から新型の機銃で応戦するロシア兵の前に、いたずらに突撃を繰り返して蜂の巣にされ、折り重なって死ぬ日本兵の様子が延々と描かれる。
兵士を無駄死にさせた日本軍上官の無策を糾弾する映画かと思ったら、その無駄死にを「勇気ある戦い」と称揚する映画だった。太平洋戦争だと生々しいしおまけに負けてるので日露戦争を持ち出したのだろうが、予想通りとはいえ頭がくらくらしてきたので途中で外に出た。
 
 太平洋戦争における日本軍の様々な作戦上の失敗を分析した名著『失敗の本質』(中公 文庫)によると、この作戦は結果的に「勝った」ため成功とされ、この時の“成功体験 ”をもとに陸軍では「白兵戦重視」のスタイルが作られていったのだそうだ。
 日露戦争直後の明治41年(1908)発行、陸軍の「戦法訓練の基本」によると「歩兵戦闘の主眼は攻撃精神に立脚する白兵戦にあり、射撃は敵に近接する一手段」と規定されている。
 しかし遼陽攻撃の教訓は「ロシア軍の新型機銃によりたくさんの日本兵が無駄死にした」ということであり、射撃訓練と火器の充実こそが真の適切な対処法だったのではないかしら。

 まあ現在の高みに立って過去を批判するのはいつもたやすくて、今ある課題に適切に対処するのはいつも難しい。人は「思いたい方向でモノを考える」ところがあるから、それによって分析の目が曇ることもしばしばある。自分がそうなってないとは言い切れない。

 靖国神社を後にしても頭のくらくらは治らず。あ、コレは風邪の初期症状だわ。
 家に水菜があり、魚屋に行ったら鯨肉を売っていたので季節はずれのはりはり鍋を作ってひとりではりはりする。

 

*1:NHK連想ゲームでやたら声のでかいキャラとして記憶に残る。今調べたら、植木等「ニッポン無責任時代」など100本以上の映画に出演していた。1985年没