ラジオのパーソナリティに必要な素養とは

 ブックレビューで『肝、焼ける』を取り上げた豊崎由美さんによると、技術の高さもさることながら作者の特徴は「意地の悪い視線」にあるという。なるほど確かに。「底意地の悪さ」はコトバで何かを語ろうとする仕事には不可欠な素養で、もう少しマイルドな表現にするなら「スルドい観察眼」だ。ズレや差異を敏感に察知し、ツッコミを入れる視線である。観察の結果を常に口に出していると敵だらけになってしまって社会生活不適応者になる可能性があるが、心の中でならどんなにとんでもないことに気づいてもOK(だから“底”意地が悪い、という)。この視線は他人のみならず自分にも及び、自分に使えば自虐ネタにもなる。
 「ラジオで喋る」という仕事について、正しい発音ができて美しい声の持ち主でないとつとまらないと思っている人は現職も含めてたくさんいる。しかし、書かれたものをただ読むだけならともかく、ラジオパーソナリティにとっては「底意地の悪さ」の方が何百倍も何千倍も重要なのである。「ひとつの話に起承転結や起伏をつけてまとめて喋る」いわゆる話術や、「ちゃんと全体を見渡して構成・展開を考える」能力も大事だが、意地の悪い視線がないと日常生活の中から疑問の種を発見することができず、種がなければ形の良い(=面白い)枝葉を得ることはそもそも不可能だ。「いい人」が喋るラジオは退屈で、40歳を過ぎてそこに気づかない奴は使い物にならないだろう。
 「底意地の悪さ」は「疑問点の発見力」でもあるし「課題の設定力」でもある。ラジオパーソナリティに限らず、ディレクターや構成作家にも濃淡はあっても当然必要とされる能力だ。この能力は常に磨いておかないと錆びる。磨くには気の合う誰かと悪口三昧もいいし、相手がいなければブログもきっと役立つ、と思う。