深紅の大優勝旗が津軽海峡を渡った!

 午後1時から夏の甲子園の決勝が始まった。駒大苫小牧済美。準々決勝で横浜高校に勝ったあたりからひょっとしたら、と思っていたが、まさかホントに決勝まで出てくるとは。
 序盤、エースの岩田くんの腕が縮んで(そりゃ、普通の神経だったら縮むよ)済美に先行を許したところまで実家でテレビ観戦。飛行機に乗らなければならないので、その後空港行きの電車の中でポケットラジオを取り出し経過を聞き続ける。6対5、6対9、9対9・・・。離されても離されても駒大苫小牧は追いつく。7回裏には連打でついに済美を引き離した。新千歳空港に着いて、中継をやっているテレビモニターにかじりつく。結果を見ようと集まった道民で黒山の人だかりだ。
 9回表2死1・3塁、済美の4番で今度のドラフトでも注目の鵜久森くんがショートフライを打ち上げゲームセット。テレビの前に陣取っていた100人以上の道民から歓声が上がり、見ず知らずの人同士が握手している。僕ももちろんそうした。よかった!深紅の大優勝旗津軽海峡を渡ることなんてないと思ってた。野球の僻地、北海道の元高校球児として、もし一人で見ていたら泣いていたかもしれない。やればできる。不可能はいつか可能になり、当たり前の事実として記録されていくのだ。
 駒大岩見沢の選手達はみんな北海道の出身だった。ありがちな他県からの野球留学がないのもまた嬉しい。この勝利は、徹底的な合理主義のなせるわざだと思う。寒い冬でも練習できる室内練習場があることも大きいが、遅い球を的確にミートする反復練習に強靱な筋力、1年中ボールを触ることによる守備のテクニックの向上(失策の少なさがこれを物語る)・・・。これは期せずして、オリンピックで勝ち始めた日本選手がやってきたことと同じなんじゃないか。
 苫小牧には、小学校1年と2年の2年間だけ住んだ。近所の公園と、駅近くの製紙工場のニオイが強烈だったことぐらいしか記憶にないが、苫東工業地域の誘致失敗以来、北海道の他の都市同様、不況にあえいでいると聞く。駒大苫小牧の全国優勝は、きっと市民に勇気とやる気をもたらしたに違いない。だって北海道を離れて15年たった僕がそう感じたんだもの。