視線の行方

 仕事しながら職場にあるテレビモニターでニュースを見る。
 棒読みリポートが多い皆様のN○Kは、記者の視線を意識して見ると面白い。外からのリポートの場合はほぼ例外なく、カメラよりやや上か横に視線がずれている。
 記者がシャイなわけではもちろんなくて、あれはカンペを読んでいるのだ。

 かれこれ10年以上昔の話になるが、N○Kの記者のリポート現場に居合わせたことがある(っていうか僕も取材者のひとりだった。場所は忘れたが外務省かどこかだったような気がする)。N○Kの取材陣は民放テレビと比べても人数が潤沢なのだが、中継用のカメラの横でリポート内容が一字一句書かれた模造紙みたいな紙を持つアシスタントがいたのには驚いた。今でも模造紙を使うのかどうか知らないが、カンペ棒読みの伝統は変わらない。

 民放の記者の場合はリードという冒頭の40〜50字分だけ暗記してカメラ目線で話し、あとは手元のメモに視線を落としたりしながら言葉をつなぐ。テレビ画面では現場の状況を取材したVTRが流れていて、その間は記者は画面に映ることがないからだ。これはこれでひとつのパターンではあるのだが、一方N○Kの場合は最初から最後までVTRナシで現場の記者のワンショット、ということが時々あって、ひどい時には国会議事堂をバックに記者がカンペをえんえんと棒読みしているリポートにぶつかったりする。あれは何か意味があるのか?「現場に行ったよ」というアリバイか、単なる雰囲気モノか。

 あとは生放送のニュース番組なのに、スタジオのアナウンサーと現場記者のQ&Aがまるごと棒読みというケースがある。これは「スタジオと現場の掛け合い」という形式だけを満たしたいディレクターの堕落であって、ひどいときには現場の記者が「こんな質問して下さいね」とスタジオに指示してくる。もっとひどいときにはそれ以外の質問をすると怒られたりする。喋る内容や喋り方そのものに自信のない記者は、臨機応変の対応ができないので台本をはずれると対応できないのだ。しかしこれは「現場リポート」なのか?

 破綻なくキレイに放送を終えることが最も優先され、現場ならではの生々しさや、現場にいない人だからこそ感じる素朴な疑問は全て二の次にされるわけだ。たまたまよく目に付くN○Kを例に出したが、民放だって同じような状況はあるし、ラジオだってそうだ。

 じゃあ、生々しければ大混乱のまま放送を終わっていいのか?う〜ん、たまには面白いがいつもそれだと疲れるぞ。一夜干し(←あくまで例えね)くらいがベストなのかしら。この件についてはまた考えてみることにしよう。