慧眼

 読み残していた岩井克人『会社は誰のものか?』(平凡社の後半、対談部分を帰りの電車の中で読んでいたら、おお、なるほど!という記述が。

発言しているのは原丈人ベンチャーキャピタリスト。プロフィールはここに詳しい。
http://www.mit-ef.jp/contest_old/contest01_judge.html)。米・英・イスラエルベンチャー育成に関わり成功を収めている人物なのでいわばその分野では「筋金入り」である。
ちょっと長いが引用する。

 私のような立場の人間がこういうことを述べると、米国ではもちろん、日本でも怪訝な
顔をされるのですが、(笑)現在のコーポレート・ガバナンスの根幹をなす“企業は株主のもの”という考え方自体、完全に間違っています。コーポレート・ガバナンスの根幹は企業は何のために存在し、そのためにはどのような統治が必要かというところから始まるべきです。たとえば、製造業であれば、いい製品を作って人々の生活を豊かにするというのが本来の存在意義であって、ここから外れると、すべてが狂ってくる。技術的な財務手法を駆使して株価を上げることなど二の次、三の次であって、本来の目的を全うしていれば自然に上がるはずのものなのです。
 ところが、実際の株式市場は投機的なファクターが幅を利かせて、企業努力よりも外部的な要因に左右されることが多いわけです。そこでたとえば株価を上げるためにIR(投資家向け広報活動)のような、製品ではなくて企業のPRを一生懸命やらなければならない、おかしな状況になってしまった。


 だからホリエモンはテレビに出続けることが大事だったのだ。そういや年明け早々には旅モノ番組で温泉に入ったり寿司をつまんだりしていたな。

 ところが、80年代の半ば頃から、ビジネススクールに「財務偏重」教育の波が押し寄せます。ROE(株主資本利益率)とか、ROI(投資利益率)とか、ROA(総資産利益率)だとか、あくまでも経営の健全性を測るための指標が独り歩きを始めたのです。従来の経営者は、これらを参考にしつつも、最終的には自らの判断で進むべき道を選択できたのですが、ビジネススクールで「洗脳教育」(笑)を受けた人間は、そうはいかない。彼らがCEO(最高経営責任者)などで経営に参画するや、これらの指標について目標の数値を定め、その実現をめざすという本末転倒が起こったわけです。
 いまや、こういう人たちがあまねくアメリカの企業社会を支配していますから、株主中心主義の弊害は目を覆うばかりです。企業本来の目標など忘れてしまっても、株式の時価総額をアップさせさえすれば、優秀な経営者だと評価されるわけです。


 この本が発売されたのは去年の6月。もちろんホリエモン逮捕など、まだ影もカタチもない。時価総額と株価UPを追求すると、どんな本末転倒が訪れるかをぴしりと指摘している。

 問題点を具体的に言いましょう。いろいろな指標のうち、株価に一番リンクしているのはROE。要するに、株主の持ち分であるエクイティのリターンを最大化するということです。
 たとえば、これを外食産業で徹底したとします。あらゆる「ムダ」を省いた後、最後に手をつけるのは商品である食べ物の品質ということになるでしょう。食べ物の品質を落としても、よりリターンを上げたほうが、株価が上がるからです。
 品質を守ったがために味はいいが、相対的にROEが低く、株価が安い企業をその上がった株価で買収するようなことが行われたとしたら、それが健全な社会と言えるのでしょうか。株価の追求が、いい企業の「淘汰」を招きかねないのです。

 ホリエモン企業統治の方法を見て、単なる拒絶じゃなくて胸がざわざわした人にオススメです。違う攻め方もあるかもしれないってことです。

会社はだれのものか