サラリーマン・ジャーナリストに何ができるか?(映画「グッドナイト&グッドラック」)


 米CBSのキャスター、エド・マローが自らの番組を通じて「アカ狩り」マッカーシーによる恐怖政治と戦い勝利した、実話に基づく映画である。ストーリーとレビューはよそでチェックしていただくとして、放送関係者としては「オマエは今、ちゃんとやってんのか?」と問いただされる気がする映画であった。ジョージ・クルーニーの狙い通り。

 プロデューサーがキャスターの足下にうずくまり、ペンで靴をたたいて番組開始の合図*1を出すところなど1950年代のテレビ局のディテールも面白い。くわえタバコでフィルムを持ち歩くので「焦がすからやめろ!」と声を荒らげたくなったのはこちらの職業病である。企画会議で「ろくなニュースがねえぞ!明日までに作ってこい」などと軽口を叩くのは50年後の放送の現場もまったく変わらない。というかその頃からすでにニュース番組の制作者は視聴率を意識していたのだなあ。少なくともこの映画では、民間放送の宿命〜政府から認可を受けてスポンサーからお金を貰い運営される「商業放送」に何が出来るのかがもう一つの大きな柱として描かれている。そしてマローをはじめとする「シー・イット・ナウ」のスタッフも、あえて日本的な言い方をすればみんなCBSに雇用されているサラリーマンでもあるのだった。

 ネット上のレビューを読んでいると、「スタジオの中にいて生命の危険もないのに戦ってるよーな顔をするな」というネガティブな評価もあるんだけど、ジャーナリストはどこかの媒体を通じないと取材の内容や自分の考えていることを発信できず、発信しなければ死んだも同然なのだ。だから敵は、たいてい議論をふっかけた本人ではなく、媒体の方に圧力をかけるんですね。実はマローとCBS会長のペイリーとのやりとりは、放送業界でメシを食うものにとってなかなか奥深いのですよ。

 当時は「共産主義者」と見なされれば解雇され、路頭に迷いかねない時代なのでした。パンフレットにあるマローの研究家・田草川弘氏の解説によるとマローはマッカーシーに戦いを挑む前に、収入がゼロになっても数年間食いつなげるかどうか会計士に計算させたのだそうだ。マローは当時、CBSでの地位も高く(一時は副社長に就任している)すでにアメリカ放送界での名士で、年収も20万ドル。「今持っているものを失いたくない」と尻込みしても不思議でない。マローに連座してクビになる可能性があるスタッフはなおさらだ。そしてマッカーシーに勝利した後、商業上の理由から「シー・イット・ナウ」は日曜の昼間に追いやられ、スタッフの削減、さらには打ち切りを通告されるのだ。このへんのくだりはまったく身につまされる。

 しかも経営者として最終的に番組の打ち切りを通告したCBS会長ペイリーは、もともと「シー・イット・ナウ」の守護者だったのである。マローがマッカーシーと戦う直前に電話で励まし、マッカーシーの反論放送を役員室でひとり見届けたペイリー。ホントは「よくやった」と言ってスタッフと飲みたかったのだと思うが、スタジオには誰もいない。打ち切りを通告する際も、自分がいかに政府等の圧力からマローたちを守ったか、ついつい愚痴のようなものが口をついて出るのだが、マローにはそんな感慨も一刀両断にされてしまうのだった。もちろん、マローは会長が何を言いたいのか、120%わかっていたと思う。しかし取り合わない。ここは実は隠れた見所だと思います。

 サラリーマン・ジャーナリストとしてはどうやって立ち回ったらいいか、露出を増やしながら食いっぱぐれずに言いたいことを言うにはどうすべきか、さらに考えてみたいと思っているのです。

*1:専門用語では「キュー」と言う