ホリエモン2
きょうは身辺雑記じゃなくて、これを書くつもりだったのだ。ライブドア堀江社長が「ニュースとジャーナリズム」をどう考えているのか。
堀江社長は先の外国人特派員協会での講演VIDEO NEWS - ニュース専門ネット局 ビデオニュース・ドットコムで「今のユーザーはインサイダー情報を求めていないんじゃないでしょうか。スクープ記事はいらないんです」と言っていたが、この点は僕には異論がある。
ブログは解釈と論評のメディアで、専門的な知識を持つ人による鋭い論評と論議が行われることは僕らユーザーにとってためになる。しかし、最初の一石は誰が投じるのか?
堀江社長の面白いところは、スクープを取ってくるような一次情報は共同通信*1とかから買えばいい、と言っている点だ。官庁や企業のお下げ渡し情報*2でない、彼らにとって都合が悪いかもしれない一次情報の収集=隠したいことを暴くには、それなりの人件費がかかるのだが、その役割を通信社だけに依存していいのか?
堀江社長のこれまでの言動を見ていると、彼は「情報公開と透明性」を重視しているようだ。自分の手の内をそれなりにオープンにしつつ、相手の業界の閉鎖性を攻撃する。たとえば球界とか放送業界とか。それはたいへん素晴らしいのだけれど、「こっちがオープンにしてるんだからあなたもオープンにやりなさい」というロジック、というか道徳律は、旧弊な業界にはなかなか通用しないのではないか(堀江社長はたぶん「世論を味方につける」考えだと思うが必ずしもそれは成功していない)。だって企業も役所も、基本的には自分たちに都合のいいことしか発表しないんだもの。ライブドアだってそうでしょう。月刊誌「サイゾー」3月号によると、ライブドアがぶちあげた「ライブドア報道局」に記者がいなくてスカスカな写真を「掲載しないでね」と頼みに来たそうだから。ことほどさように、程度の差はあれ組織というものはおのれに都合の悪いことは隠そうとするものなのである。
で、そこをどうこじ開けるかが記者やニュースディレクターの腕の見せ所なのだが、そこに価値を認め、もっと直接的に言うと報酬というモチベーションを与えないと、組織の中でうまいことやって私腹を肥やしている人たちの抵抗を払いのけて告発するような記事は書けないんじゃないかしら。最もコストがかかるこの部分をよそに依頼し、あがりだけかすめて「これが新しいジャーナリズムです」と言うのは都合が良すぎる。情報を右から左に流すパイプと同じだ。発表される情報そのものにバイアスがかかっている可能性をどう考えるのだ。自分で検証はしないのか?誰がそれをこじあけるのか?そこはブログ頼みなのか?その解釈は自社のブログユーザー以外に伝えなくていいのか?ユーザーがそのブログを見過ごしたらどうする?そんな体制で世の中の不公正は変わるのか?「情報公開しない人たちが悪いんですよ」と言いつのるだけで何かが動くのか?
つまり、ユーザーが自分で問題意識を持って探しに行かなければならない世の中になったら、既存メディアのニュースは企業や官庁の発表たれながしになったら、それは自分で情報を探せない子供やお年寄り、日々の生活に忙しい会社員や主婦までがいろんな情報を得て幸せになれる社会になるのかどうか。ライブドアのショッピングサイトから欲しいものを買うだけが幸せじゃないでしょう。「社会の設計にどう関わり、影響力を行使できるか」がブログ社会の意味だと思う。そして世の中に責任を負う立場を自認する人なら、そのルートを明示する必要があると思う。
来週、番組では堀江社長にインタビュー出来る予定である。このへんの話はぜひ聞いてみたいと思っている。