グッときた言葉

 「そもそも報道とはそれほど神聖な仕事ではなく、情報という商品を不特定多数の消費者に売る仕事にすぎない」(魚住昭『官僚とメディア』p.172)


 この文章はこの後「その商品の原料である一次情報の約七割は、官庁もしくはそれに準じる機構からただで提供されるものだ。そういう意味で報道に携わることを恥とするならともかく神聖視したり、特権視したりするいわれはまったくない」と続く。
こういうことはうっかりするとすぐ忘れる。


 この本では耐震偽装事件やライブドア事件などを例に、検察リーク→メディアのフレームアップ→生け贄叩き→世論の沸騰→“正義の味方”の検察登場→「ホラやっぱり」とメディアと世論がさらに沸騰・・・ という「検察とメディアによる情報操作」が明快に語られる。そしてそれによって隠蔽される官僚の失策、特オチしないことに汲々として検証できないメディア。

 「刺激的なこと」や「絵になること」ばかりを追い求めると本質を見失う。不祥事を起こした企業の経営者は「たいへん申し訳ありませんでしたっ」と頭を下げるが、これすらももうお約束のルーティンワークとなっているのだった。